コンプ系における飴と鞭 -本文-
何でもそうだと言えるが、コンプ系には飴と鞭が顕著に存在する。
それらは人の嗜好性や主観の選択により、その相対的な立場を様々に変質させるが、少なくともここで語るのは「アクメと寸止め」の2つ。
私にとって、コンプ系における「アクメ」はご褒美的な飴であり、「寸止め」は物足りない鞭である。
先述したが、これらは人によりその質を大きく回転させる。
あくまで私にとってそうである、と言う立場をご理解頂きたい。
【アクメ】
エロゲにおけるアクメ表現は、その殆どが著しく解り易いセリフやテキストに限定して判別する事になる(例:あぁん…だめ!いっくぅぅ!)
”イク”や”絶頂”等の単語によってプレイヤーはその断定性を確認・判断するのである。
アヘ顔などの画像表現もあるが、それは”アヘ顔”であって必ずしも”アクメ顔”ではない事に注意したい。アクメ顔であるかの判断もまた、テキストによる。
コンプ系でのアクメ表現は、ほぼ皆無である。
【寸止め】
基本的には、シーンそのものを飛ばす”朝チュン”であり、事後表現でもある。
ここでは主人公の途中退場・離脱も含む為「寸止め」と記述する。
コンプ系では「それから3回も中出しした」など、連続したセックスでの途中退場・描写の断裂が非常に多い。
この2つが、コンプ系には定番と言っていいほど非常に多く表れており、独特のジャンル・シチュエーションもさることながら、私の興味を鷲掴みにしている重要なポイントでもある。
ぶっちゃけ、私はコンプにアクメを求めており、そして寸止めを求めていない。
この需要と供給のアンバランスさが、飴と鞭の意味を模しており、私はそれを何故か愛して止まない。
※一応ではあるが「お尻がブルッと震えた」「オマンコがヒクヒク動いた」など。
セリフで言えば中出し後の「うはぁぁっ」とかは、もしかしたらアクメ表現のつもりかも知れない。
※私は限定すべき箇所を、読み手の想像に任せる表現をよしとは考えない。
変な話、ミステリはあくまでその問いによって答えやそこに行き着くまでの過程を想像・推理させ楽しませるべきであり。
決して問いそのものを審議させるものであってはならない。と考える。
仮に、その手のジャンルがあったとして(リドルストーリーとかね)それは、そこに限定させるべきであり。
つまり”その手のジャンル”内に収め、少数であるが故に光るのである。
コンプは多様し過ぎ、っつーか殆どそれしかないので、私としてはかなりマジ食傷。
※むかしは(オーサやメイビー含む)結構アクメあったのになぁ。
※主人公が少年故に、どうしても女性側の心理を描く機会が少なくなるのは解る。
解るけど、もうちっと欲しいなぁ。つかあっても結局アクメ表現少ないけどな。
※例えば、セックスにおける経験値の低い主人公が、余裕ある大人と経験するのだから、自分だけが搾られる展開は当然とも言える。
しかし、それでも何度も何度も、しかもテクニックを教授してくる相手までいるのである。
その上、巨根や絶倫などの才能にも恵まれた主人公なのだから、後半で相手を翻弄する場面があっても…と思わざるを得ない。
=要望・希望・願望=
ファンディスク的な、ユーザーの希望シチュを詰め込んだの出してくんねぇかな。
梁川理子と公子先生と所望する。
【そもそもコンプにおける絶頂とは何か】
コンプには、アクメ描写が著しく少ない(あくまで他エロゲと比べ)と書いたが、ここで疑問・検討してみる。
果たして、本当にそうだろうか。
アクメ描写はあったものの、私が、それを読み取れなかっただけなケース。
或いは、描写そのものを見逃してしまったケース、等は考えられないだろうか。
私は、コンプ系を愛して止まないが、しかし同時にエロゲメーカだと言う認識でもある。
その作品の質にエロを求めるあまり(いや元来そうあるべきなのだが)、他の部分の観測を疎かにしていたのではないか。
充分に、あり得る。
そこで私は、今一度コンプ系ゲームをプレイし直してみた。
これまでに何度となくお世話にはなってきたが、観測そのものをベースとしたプレイは、今回が初めてである。
驚くほど、意外に、スルーしていた表現や言い回しなどの多さに気づく。そして、凄まじいほどのテキストの使い回し、誤字脱字である。
結果。
やっぱアクメ少ねぇ。
かなりの時間を消費して、テキストを抜き出し、前後の表現と対比する事で、一応のコンプアクメは網羅した。
少なくともここまでで断言出来る事は
「コンプは寸止めしてぇんだな」
と言う事である。
もしかしたら元々の”おねショタ”と言うジャンルのテンプレ的な基盤自体に、「ショタが失神するほど搾り取られるだけ」と言うお約束が存在していたのかも知れない。
要するに、シチュエーションや組み合わせが単に”ガキと大人”というだけで、普通のセックスや普通のエロ表現を特に売りとしていないのではないか。
最近こそ、そこそこのブーム的なアレで、おねショタがマイナーメジャーな感じに勘違いされてる事もあり、様々なメーカー、或いはサークルが作品を出している。
しかし、本来の”おねショタ”と言うジャンルには沿わない内容であったりするのであれば、私こそがコンプを誤解していたのかも知れない。
私の求める”おねショタ”とコンプの作り出す”おねショタ”は違う。
これまでの過程から導き出される答えは、上記のものであった。
しかし、そうでは無い。
もしくはそうであったとしても、コンプの懐は割りと広かった。
そうでなくては生き残れないのかも知れないが。
何故なら、コンプの流動と変遷を垣間見ると、ただ一つの頑固一徹という訳ではないからである。
壊滅的にメーカのイメージを損失させない限り、結構ミーハーな表現を取り入れている姿勢だからだ(コドモチンポやNTR、しゅごいとかおほぉなどなど
もどかしく小さな変化ではあるが、私の期待するコンプとすり合わせが可能だと思えた。
何か、偉そうですいません。
続き
⇒絶頂ログ
⇒まとめ
>>コンプ道
それらは人の嗜好性や主観の選択により、その相対的な立場を様々に変質させるが、少なくともここで語るのは「アクメと寸止め」の2つ。
私にとって、コンプ系における「アクメ」はご褒美的な飴であり、「寸止め」は物足りない鞭である。
先述したが、これらは人によりその質を大きく回転させる。
あくまで私にとってそうである、と言う立場をご理解頂きたい。
【アクメ】
エロゲにおけるアクメ表現は、その殆どが著しく解り易いセリフやテキストに限定して判別する事になる(例:あぁん…だめ!いっくぅぅ!)
”イク”や”絶頂”等の単語によってプレイヤーはその断定性を確認・判断するのである。
アヘ顔などの画像表現もあるが、それは”アヘ顔”であって必ずしも”アクメ顔”ではない事に注意したい。アクメ顔であるかの判断もまた、テキストによる。
コンプ系でのアクメ表現は、ほぼ皆無である。
【寸止め】
基本的には、シーンそのものを飛ばす”朝チュン”であり、事後表現でもある。
ここでは主人公の途中退場・離脱も含む為「寸止め」と記述する。
コンプ系では「それから3回も中出しした」など、連続したセックスでの途中退場・描写の断裂が非常に多い。
この2つが、コンプ系には定番と言っていいほど非常に多く表れており、独特のジャンル・シチュエーションもさることながら、私の興味を鷲掴みにしている重要なポイントでもある。
ぶっちゃけ、私はコンプにアクメを求めており、そして寸止めを求めていない。
この需要と供給のアンバランスさが、飴と鞭の意味を模しており、私はそれを何故か愛して止まない。
※一応ではあるが「お尻がブルッと震えた」「オマンコがヒクヒク動いた」など。
セリフで言えば中出し後の「うはぁぁっ」とかは、もしかしたらアクメ表現のつもりかも知れない。
※私は限定すべき箇所を、読み手の想像に任せる表現をよしとは考えない。
変な話、ミステリはあくまでその問いによって答えやそこに行き着くまでの過程を想像・推理させ楽しませるべきであり。
決して問いそのものを審議させるものであってはならない。と考える。
仮に、その手のジャンルがあったとして(リドルストーリーとかね)それは、そこに限定させるべきであり。
つまり”その手のジャンル”内に収め、少数であるが故に光るのである。
コンプは多様し過ぎ、っつーか殆どそれしかないので、私としてはかなりマジ食傷。
※むかしは(オーサやメイビー含む)結構アクメあったのになぁ。
※主人公が少年故に、どうしても女性側の心理を描く機会が少なくなるのは解る。
解るけど、もうちっと欲しいなぁ。つかあっても結局アクメ表現少ないけどな。
※例えば、セックスにおける経験値の低い主人公が、余裕ある大人と経験するのだから、自分だけが搾られる展開は当然とも言える。
しかし、それでも何度も何度も、しかもテクニックを教授してくる相手までいるのである。
その上、巨根や絶倫などの才能にも恵まれた主人公なのだから、後半で相手を翻弄する場面があっても…と思わざるを得ない。
=要望・希望・願望=
ファンディスク的な、ユーザーの希望シチュを詰め込んだの出してくんねぇかな。
梁川理子と公子先生と所望する。
【そもそもコンプにおける絶頂とは何か】
コンプには、アクメ描写が著しく少ない(あくまで他エロゲと比べ)と書いたが、ここで疑問・検討してみる。
果たして、本当にそうだろうか。
アクメ描写はあったものの、私が、それを読み取れなかっただけなケース。
或いは、描写そのものを見逃してしまったケース、等は考えられないだろうか。
私は、コンプ系を愛して止まないが、しかし同時にエロゲメーカだと言う認識でもある。
その作品の質にエロを求めるあまり(いや元来そうあるべきなのだが)、他の部分の観測を疎かにしていたのではないか。
充分に、あり得る。
そこで私は、今一度コンプ系ゲームをプレイし直してみた。
これまでに何度となくお世話にはなってきたが、観測そのものをベースとしたプレイは、今回が初めてである。
驚くほど、意外に、スルーしていた表現や言い回しなどの多さに気づく。そして、凄まじいほどのテキストの使い回し、誤字脱字である。
結果。
やっぱアクメ少ねぇ。
かなりの時間を消費して、テキストを抜き出し、前後の表現と対比する事で、一応のコンプアクメは網羅した。
少なくともここまでで断言出来る事は
「コンプは寸止めしてぇんだな」
と言う事である。
もしかしたら元々の”おねショタ”と言うジャンルのテンプレ的な基盤自体に、「ショタが失神するほど搾り取られるだけ」と言うお約束が存在していたのかも知れない。
要するに、シチュエーションや組み合わせが単に”ガキと大人”というだけで、普通のセックスや普通のエロ表現を特に売りとしていないのではないか。
最近こそ、そこそこのブーム的なアレで、おねショタがマイナーメジャーな感じに勘違いされてる事もあり、様々なメーカー、或いはサークルが作品を出している。
しかし、本来の”おねショタ”と言うジャンルには沿わない内容であったりするのであれば、私こそがコンプを誤解していたのかも知れない。
私の求める”おねショタ”とコンプの作り出す”おねショタ”は違う。
これまでの過程から導き出される答えは、上記のものであった。
しかし、そうでは無い。
もしくはそうであったとしても、コンプの懐は割りと広かった。
そうでなくては生き残れないのかも知れないが。
何故なら、コンプの流動と変遷を垣間見ると、ただ一つの頑固一徹という訳ではないからである。
壊滅的にメーカのイメージを損失させない限り、結構ミーハーな表現を取り入れている姿勢だからだ(コドモチンポやNTR、しゅごいとかおほぉなどなど
もどかしく小さな変化ではあるが、私の期待するコンプとすり合わせが可能だと思えた。
何か、偉そうですいません。
続き
⇒絶頂ログ
⇒まとめ
>>コンプ道